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火星現象論: 火星表層環境の進化
地球流体電脳倶楽部
1997 年 1 月 28 日
概要:
火星表層環境の進化を概観する.
過去に大きな環境変動があったとされる地質学的証拠として,
以下のようなものがあげられている(Carr, 1996).
- バレーネットワーク
- バレーネットワークはその形態から河川の跡ではないかと
考えられている(「火星現象論: 火星の表面地形」参照).
現在の気候下では大気からの降水, 地上での流水はすぐに凍結
してしまう(赤道の日中の平均気温は -60C ).
また軌道傾斜角変化による氷の融解では十分な水を供給することはできない
(「火星現象論: 火星の気候変動」参照).
よってバレーが流水によって形成されたなら, かつて温暖な気候
が存在していたことが必要となる.
- 浸食速度の変化
- 高地のクレーターは直径 70km 程度のクレーターはほとんどが
削平衡に達している.
これに対し, 直径 20km 以下の小さいクレーターの数が大きいものに
比べ不相応に少ない.
Hartmann (1973) はこのような地形ができた原因は, 隕石重爆撃期を
境にした侵食速度の変化であるとしている.
すなわち, 隕石重爆撃期では浸食速度が大きく, 小さなクレーターは
ほとんど残らない.
隕石重爆撃が終って浸食速度が低下すると小さなクレーターも残るように
なり, 現在見られるような分布になった, としている.
- Baker and Partridge (1986)は Noachian に形成されたバレーの
浸食状態が異なることから, 浸食速度の変化を主張している.
- どちらも Noachian とそれ以後の時代との間で侵食速度が変化
したことを主張している.
侵食速度の大きな変化, は表層環境に何らかの変動があったことを示唆
する.
- 風成堆積物
- 地表のあちこちに浸食・風化によって生じたような堆積物が観察
される.
最も有名なのは Medusae Fossae (赤道付近, 140W- 240
W).
Noachian 以後では浸食速度がずっと低くなるので, これらの堆積物は
浸食・風化がよく働いた火星史上の比較的早い時期に生成された
と考えられる.
- 氷河の跡
- Hellas と Argyre の周辺に, 氷河によって形成されるものによく似た
地形が存在する.
これより Kargel and Strom (1992)は火星にも氷河が形成された時期
があった, と主張している.
もしこれが事実ならば, 降水をもたらすような大気環境が必要になる.
これらの表層環境の大きな変化は隕石重爆撃期の終り頃によく見られる.
以上の証拠からかつて火星には温暖な気候が存在したと考えられる.
温暖な気候が存在するためには温室効果が十分効くような濃い大気がなければならない.
そのため火星にはかつて濃い大気が存在したと考えられる.
このような濃い大気の主成分としてはが考えられている.
しかし, まだ次のようなことはわかっておらず, 今後の問題である(Leovy,1979).
- 現在の火星の表層にはどれくらいのと
が存在しているのか?
- 過去の火星にはどれくらいのと液体の
が
存在したのか?
- 昔存在したと考えられると
は
どこにいったのか?
図1 バレーネットワーク(Carr, 1996, 図4-8).
写真の横幅は 80km.
同位体比を用いて過去に存在した HO の量が見積もられている.
N, Ar, D/H 比がよく用いられる.
スケーリングを用いて HO 量が見積もられている.
これらの見積もりには, SNC 隕石からの情報やその他の大気
散逸過程が含まれていないこと, 揮発性元素間の存在度比に普遍性を仮定
したことに問題がある.
脱ガス率2も
見積もられている.
しかし, HO の絶対脱ガス量はわからない.
観測から「火星の水素は重い」ことがわかっている.
- Owen et al. (1988): Bjoraker et al. (1989):
「火星大気の水素は重い」ことを発見した.
地球上からの赤外線分光観測から, 火星の D/H
を得た.
これは地球の 5.2 倍にあたる.
よって大気から H が選択的に散逸したことが示唆される.
- Watson at al. (1994):
「火星地殻の水素も重い」ことを発見した.
SNC 隕石中のマグマと変成起源含水鉱物の分析から,
火星地殻の D/H は地球の水と同程度の値から, 火星大気と同程度の値の間に
分散していることがわかった.
これは地球と同程度の D/H 比を持つマントル中の HO と, 現火星大気
と同程度の D/H 比を持つ表層の HO との混合で説明できる.
よって大気と地殻中の HO は高い交換率をもつことと, 表層の D/H の分別は
SNC の固化年代である 13 億年前には現在と同程度進んでいたことを示唆する.
この結果から HO 量が見積もられている.
H の散逸がどのような進化をたどったかには, 連続的に散逸したとする考え
(斉一論: Jakosky and Jone, 1995)と, 過去の温暖な時代に湿潤な大気から多く
散逸され, 分別の大部分はそのとき進行したとする考え(初期大規模散逸
: Owen wt al., 1988)がある.
斉一論には, 1)現在の寒冷な環境では大気と地殻中の HO の交換は
進行しにくい, 2)残存 HO (Jakosky, 1990)量が少なすぎる, という
問題がある.
火星は重力が地球と比べ小さく大気も薄いため, 大気の様々な散逸過程が
大気と表層環境の進化に重要な役割を果たす.
- Hydrodynamic escape
- 大気上層の H が EUV(遠紫外線)に加熱され, 熱的に流出する.
このとき流束が十分大きいと, 他の重い分子や原子をひきずって散逸する.
Pepin (1991) は Xe の分別をこの効果で説明している.
このとき必要な EUV フラックスは現在の
倍.
太陽質量程度の若い星はこの程度の EUV を放出していることが,
観測から知られている(減衰の時定数は 9000 万年) .
- Impact erosion
- 小天体の高速度衝突で生じた高温の蒸気流に, 大気が取り込まれて散逸する.
大気成分の分別は直接は起こらないが, 凝結の効果を考えると表層全体で揮発性
元素の分別が起こり得る.
Melosh and Vikery (1989) は必要な衝突速度として, 衝突体が岩石質であれば
14.3km/sec, 氷天体であれば 11.1km/sec を求めた.
- Jeans escape
- Maxwell 速度分布の高速成分が散逸する.
H, D, He まで有効に働く.
分別には外気圏(exosphere)での軽原子, 原子の重力による選択的な濃集が
反映している.
- Dissociation recombination
- 分子イオンが電子と再結合して, 高速の中性原子へ解離して散逸する.
例えば Ne
2N, Oe
2O など.
もともとの電離は太陽紫外線に規定される.
反応自体は光化学過程の一つ.
- Ion pick-up Sputtering
- イオンが太陽風磁場に巻き付いて加速される(Ion pick-up).
そのまま散逸することもあるが, 巻き付き運動の結果外気圏に再衝突し,
周囲の粒子に運動量を渡して散逸させる(Sputtering)こともある.
太陽風粒子(p), He イオンの直接 Sputtering は効果が薄い.
火星は磁場が弱いので, 太陽風が深く侵入できることが重要である.
Luhmann et al. (1992) は最近 35 億年の Sputtering による散逸量を見積もった.
それによると C は 120mb 相当, O は HO に換算して全球を深さ 30m で
覆う量が散逸している.
また Jakosky et al. (1995) では Ar/Ar, Ne/
Ne の分別は Sputtering だけで十分説明できるとしている.
むしろ分別が効率良く進みすぎるので, 内部からの連続脱ガスによる希釈
が必要であるといっている.
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謝辞
本稿は 1989 年から 1993 年に東京大学地球惑星物理学科で行われていた,
流体理論セミナーでのセミナーノートがもとになっている.
原作版は石渡正樹による「火星現象論」 (89/05/19) であり,
林祥介によって地球流体電脳倶楽部版「火星現象論」
として書き直された (1996/06/23).
その後小高正嗣によって加筆修正された (1997/01/28).
構成とデバッグに協力してくれたセミナー参加者のすべてにも
感謝しなければならない.
本資源は著作者の諸権利に抵触しない(迷惑をかけない)限りにおいて自由に利用
していただいて構わない. なお, 利用する際には今一度自ら内容を確かめること
をお願いする(無保証無責任原則).
本資源に含まれる元資源提供者(図等の版元等を含む)からは, 直接的な形での
WEB 上での著作権または使用許諾を得ていない場合があるが, 勝手ながら, 「未
来の教育」のための実験という学術目的であることをご理解いただけるものと信
じ, 学術標準の引用手順を守ることで諸手続きを略させていただいている. 本資
源の利用者には, この点を理解の上, 注意して扱っていただけるようお願いする.
万一, 不都合のある場合には
まで連絡していただければ幸いである.
- ... Sputtering1
- 3 大気散逸の機構参照.
- ...脱ガス率2
- 火星史を通じて作られた量に対する大気に放出された量の割合
- ... 分別因子3
- H に対する
D の逃げやすさを示す.
分別因子が 0.32 とは「D は H の 0.32 倍だけ逃げる」ことを意味する.
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: 火星現象論
Odaka Masatsugu
平成19年5月29日