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: 地球流体理論マニュアル : 火星現象論

火星現象論: 火星表層環境の進化

地球流体電脳倶楽部

1997 年 1 月 28 日


目次

概要:

火星表層環境の進化を概観する.

地質学的な証拠

過去に大きな環境変動があったとされる地質学的証拠として, 以下のようなものがあげられている(Carr, 1996).

これらの表層環境の大きな変化は隕石重爆撃期の終り頃によく見られる.

以上の証拠からかつて火星には温暖な気候が存在したと考えられる. 温暖な気候が存在するためには温室効果が十分効くような濃い大気がなければならない. そのため火星にはかつて濃い大気が存在したと考えられる. このような濃い大気の主成分としては${\rm CO}_2$が考えられている. しかし, まだ次のようなことはわかっておらず, 今後の問題である(Leovy,1979).

\Depsf[100mm][]{fig-prohibited/chikei-10.ps}
図1 バレーネットワーク(Carr, 1996, 図4-8). 写真の横幅は 80km.

同位体比を用いた H${}_{2}$O 量の見積もり

同位体比を用いて過去に存在した H${}_{2}$O の量が見積もられている. N${}_{2}$, Ar, D/H 比がよく用いられる.

Ar と N${}_{2}$

スケーリングを用いて H${}_{2}$O 量が見積もられている. これらの見積もりには, SNC 隕石からの情報やその他の大気 散逸過程が含まれていないこと, 揮発性元素間の存在度比に普遍性を仮定 したことに問題がある.

脱ガス率2も 見積もられている. しかし, H${}_{2}$O の絶対脱ガス量はわからない.

D と H

観測から「火星の水素は重い」ことがわかっている. この結果から H${}_{2}$O 量が見積もられている. H の散逸がどのような進化をたどったかには, 連続的に散逸したとする考え (斉一論: Jakosky and Jone, 1995)と, 過去の温暖な時代に湿潤な大気から多く 散逸され, 分別の大部分はそのとき進行したとする考え(初期大規模散逸 : Owen wt al., 1988)がある. 斉一論には, 1)現在の寒冷な環境では大気と地殻中の H${}_{2}$O の交換は 進行しにくい, 2)残存 H${}_{2}$O (Jakosky, 1990)量が少なすぎる, という 問題がある.

大気散逸の機構

火星は重力が地球と比べ小さく大気も薄いため, 大気の様々な散逸過程が 大気と表層環境の進化に重要な役割を果たす.
Hydrodynamic escape
大気上層の H${}_{2}$ が EUV(遠紫外線)に加熱され, 熱的に流出する. このとき流束が十分大きいと, 他の重い分子や原子をひきずって散逸する.

Pepin (1991) は Xe の分別をこの効果で説明している. このとき必要な EUV フラックスは現在の $10^{2}\sim 10^{3}$ 倍. 太陽質量程度の若い星はこの程度の EUV を放出していることが, 観測から知られている(減衰の時定数は 9000 万年) .

Impact erosion
小天体の高速度衝突で生じた高温の蒸気流に, 大気が取り込まれて散逸する. 大気成分の分別は直接は起こらないが, 凝結の効果を考えると表層全体で揮発性 元素の分別が起こり得る.

Melosh and Vikery (1989) は必要な衝突速度として, 衝突体が岩石質であれば 14.3km/sec, 氷天体であれば 11.1km/sec を求めた.

Jeans escape
Maxwell 速度分布の高速成分が散逸する. H, D, He まで有効に働く. 分別には外気圏(exosphere)での軽原子, 原子の重力による選択的な濃集が 反映している.

Dissociation recombination
分子イオンが電子と再結合して, 高速の中性原子へ解離して散逸する. 例えば N${}_{2}^{+}+$e ${}^{-} \rightarrow $2N, O${}_{2}^{+}+$e ${}^{-} \rightarrow $2O など. もともとの電離は太陽紫外線に規定される. 反応自体は光化学過程の一つ.

Ion pick-up Sputtering
イオンが太陽風磁場に巻き付いて加速される(Ion pick-up). そのまま散逸することもあるが, 巻き付き運動の結果外気圏に再衝突し, 周囲の粒子に運動量を渡して散逸させる(Sputtering)こともある. 太陽風粒子(p${}^{+}$), He イオンの直接 Sputtering は効果が薄い. 火星は磁場が弱いので, 太陽風が深く侵入できることが重要である.

Luhmann et al. (1992) は最近 35 億年の Sputtering による散逸量を見積もった. それによると C は 120mb 相当, O は H${}_{2}$O に換算して全球を深さ 30m で 覆う量が散逸している.

また Jakosky et al. (1995) では ${}^{36}$Ar/${}^{38}$Ar, ${}^{22}$Ne/${}^{20}$ Ne の分別は Sputtering だけで十分説明できるとしている. むしろ分別が効率良く進みすぎるので, 内部からの連続脱ガスによる希釈 が必要であるといっている.

参考文献

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Bjoraker, G.L., Mumma, M.J. and Larson, H.P., 1989: The Value pf D/H in the Martian atmosphere: Measurement pf HDO and H${}_{2}$O using the Kuiper Airbone Observatory, Proc.4th Int.Conf.on Mars, Tucson,Jan,10-13,1989,pp.69-70.

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Carr, M.H., 1996: Water on Mars, Oxford Univ.Press, 229pp.

Donahue, 1995:

Hartmann, W.K., 1973: Martian cratering 4: Mariner 9 initial analysis of cratering chronology, J. Geophys. Res., 79, 4096-4116.

Jakosky, B.M., 1990: Mars atmospheric D/H: Consisten with polar volatile theory? J. Geophys. Res.,95,1475-1480.

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Jakosky, B.M., Pepin, R.O., Johnson, R.E. and Fox, J.L., 1994: Mars atmospheric loss and isotopic fractionation by solar wind induced sputtering and photochemicalescape, Icarus,111,271-288.

Jakosky, B.M., Henderson, B.G. and Mellon, M.T., 1995: Chaotic obliquity and the nature of the martian climate, J. Geophys. Res.(in press)

Kargel, J.S. and Strom, R.G., 1992: Ancient glaciation on Mars, Geology, 20, 3-7.

Leovy,C.B., 1979: Martian Meteorology, Ann. Rev. Astron. Astrophys., 17, 387-413.

Luhmann, J.G., Russel, C.T., Brace, L.H. and Vaisberg, O.L., 1992: The intrinsin magnetic field and silar-wind interactions of Mars, Mars (Kieffer,H.H. et al., eds.), University of Arizona Press, Tucson, pp.1090-1134.

Melosh, H.J. and Vikery, A.M., 1989: Impact erosion pf the primordial atmosphere of Mars. Nature,338,487-489.

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Owen, T., Maillard, J.P., DeBergh, C. and Lutz, B.L., 1988: Deuterium on Mars: The abundance of HDO and the valueof D/H, Science,240,1767-1770.

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Scambos, T.A. and Jakosky, B.M., 1990: An outgassing release factor fon non-radiogenic volatiles on Mars, J. Geophys. Res.,95,14779-14787.

Watson, L.L., Hutcheon, I.D., Epstein, S. and Stolper, E.M., 1994: Water on Mars: Clues from deuterium/hydrogen and water contents of hydrous phase in SNC meteorites, Science,265,86-90.

Yung, Y.L., Wen, J., Pinto, J.P., Allen, M., Pierce, K.K., and Paulsen, S., 198: HDO in themartian atmosphere: Implications for the abundance of crustal water, Icarus,76,146-159.



謝辞

本稿は 1989 年から 1993 年に東京大学地球惑星物理学科で行われていた, 流体理論セミナーでのセミナーノートがもとになっている. 原作版は石渡正樹による「火星現象論」 (89/05/19) であり, 林祥介によって地球流体電脳倶楽部版「火星現象論」 として書き直された (1996/06/23). その後小高正嗣によって加筆修正された (1997/01/28). 構成とデバッグに協力してくれたセミナー参加者のすべてにも 感謝しなければならない.

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\begin{displaymath}
\mbox{dcstaff@gfd-dennou.org}
\end{displaymath}

まで連絡していただければ幸いである.



... Sputtering1
3 大気散逸の機構参照.
...脱ガス率2
火星史を通じて作られた量に対する大気に放出された量の割合
... 分別因子3
H に対する D の逃げやすさを示す. 分別因子が 0.32 とは「D は H の 0.32 倍だけ逃げる」ことを意味する.

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Odaka Masatsugu 平成19年5月29日